こんにちは、ごめです。
9月28日に、市長の志々島視察がありました!(記事はこちら)
主な目的は、志々島で栽培している薬用作物『ミシマサイコ』の畑を視察すること✨
ミシマサイコの栽培について、具体的にお話を聞いた前編の記事はこちら
今回は、栽培に取り組む笹生さんに、移住の経緯や栽培のきっかけなどを詳しくお話を伺いました!
■移住のきっかけ
ミシマサイコの栽培をしている笹生則光(ささおのりみつ)さんは、もともと東京在住のwebプログラマー。
テレビが好きで、ある日偶然見た「人生の楽園」という番組で、志々島を知ったそうです。
番組では、2015年に志々島を盛り上げ、移住者を呼び込もうと設立された志々島振興合同会社(現:志々島ダイナミックス)が島の活性化に取り組む様子が取り上げられていました。
特に心に残ったのは、「花の島・復活」というキーワード
かつて人口1000人を超えるほど栄えていた昭和初期、花卉栽培が盛んだった志々島は、上空から見るとパッチワークのように色とりどりの花が咲き誇り、それはそれは綺麗だったとか。
そんなかつての「花の島」を復活させる取り組みに興味を持ち、それ以外にも様々な要素が組み合わさって、移住を考えるきっかけとなりました。
■東京の生活から離れて
東京での仕事では、肉体的にも、精神的にも限界を感じていたそうです。
都会にはたくさんの娯楽がありますが、それも楽しみ尽くしてしまった感覚がありました。
もともと瀬戸内海がいいところだと思っており、離島も好きだったことから、都会の喧騒を離れ、移住を決意。
テレビで志々島を知ったことをきっかけに、2回ほど短期で訪れ、3回目で1ヶ月の長期滞在を経て、本格的に移住されました。
■島の産業としての薬用作物栽培
笹生さんが移住する時点では、志々島に仕事がないことは分かっていたといいます。
移住初期は島民の方の漁を手伝ったりしていましたが、次第に考えるようになったのは、「島に仕事を作れないだろうか、収入のきっかけを作れないだろうか」ということでした。
そんな中、三豊市の職員から薬用作物栽培の話を聞き、チャレンジしてみることにしたそうです。
現在はミシマサイコの他に、香川本鷹(トウガラシ)やモリンガなどの栽培を行なっており、農業が中心の生活になりました。
■志々島の生活
志々島での生活で大変なことを聞いてみると、「畑に重機を入れられないこと」「坂が多いこと」を教えていただきました。
特に、ミシマサイコの畑は急な坂を登った丘の上にあり、完全手作業でやらなければなりません。
おかげで体力がついてきた、と笑ってらっしゃいました。
また、気に入っているところは、「何もない潔さ」とのことでした
車も走らず、以前の都会での生活とは正反対の島での暮らしが気に入っているとのこと。
今後は一人で船を自由に扱えるようになりたい、という楽しみなお話も聞けました。
今後も、笹生さんのように移住してくれる方が増えてくれると嬉しいですね
これからどんどん盛り上がっていきそうな志々島でした
笹生さんのブログはこちら