
の乙姫さくらです
大水上神社 二ノ宮窯跡
大水上神社の記事はこちら
県道沿いの鳥居の前には、 国指定史跡 二ノ宮瓦窯跡の看板があります
大正十四年に発見された、二基の窯
出土した瓦は
・忍冬唐草文の軒平瓦
・三つ巴文軒丸瓦
などが、出土しています
瓦の型式によって、平安時代後期から鎌倉時代のものと考えられているそうです
妙音寺から始まった、瓦窯跡ツアー 妙音寺の記事はこちら
まだまだ、三豊ミステリーで追っかけたい歴史の謎など
たくさんあります
お楽しみに

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またの名は「三豊の卑弥呼 シャーマンさくら」ですね。
ところで、遅ればせながら源平の祈願に関連して新しい発見がありました。
伊豆に流された源頼朝は、1180年、平家打倒に立ち上がり、東海道屈指の名社 伊豆一宮 三嶋大社に戦勝祈願し、平義隆を討ち果たしました。
討った日は三嶋大社の例大祭であったため、霊験があらたかとされ、関東武者の崇敬を集めるようになったそうです。
三嶋大社のご祭神は、大山積命です。その昔は半島突端の下田市の名神大社 伊豆三嶋神社であり、南から海を渡って来たと伝えられています。大水上神社のご祭神も、大山積命です。
その後、讃岐の地で戦を交える時に、平氏が大山積命を祀る大水上神社に祈願し、源氏も先を越されたと慌てて、すぐに祈願したのかもしれませんね。
確かに愛媛の大山積神社、その末裔は水軍を組織し、白村江の戦い、藤原純友の乱、元寇などの海戦で大活躍しています。愛媛出身の長友選手がインテルで活躍しているように、勝ち負けの戦、ひいてはスポーツの神様でもあるそうです。
コメント、ありがとうございます♪
いえ〜、叶ったといっても、行きたいと思っていた場所に行けない時も、後で違う予定が入り”あ〜なるほど”ということなど・・・、なんとなくすべてがうまくおさまる感じが続いたくらいなんですよ☆
新しい発見、教えていただきありがとうございます
古の時代ほど、◯◯祈願は、欠かすことのできない生活の一部だったんでしょうね。
今よりも、見えないものを大切にしていた時代のほうが、自然との調和などがうまくいっていたのかなあなど、比較はできませんが、感じます。