もっともっと宗吉瓦窯のこと、知りたーい!!
ということで、引き続き塩冶琢磨さんにお話を伺います。
interview@
宗吉瓦窯の発掘のきっかけはなんだったんですか?!
はじめ大正時代に、この辺りで農業をしていた方が落ち込んだらしいんですよね。
そして、その時に瓦のようなものが見つかったので、瓦窯があったんではないか、と
言われるようになりました。
平成3年に農道を作る計画ができて、瓦窯跡があるかもしれない、ということで
発掘調査されて、ひとつふたつと見つかり、最終的に24基見つかりました。
平成3年から平成17年の調査の中で、宗吉の瓦窯の構造や数が明らかになりました。
藤原京とのつながりを教えてください。
奈良の藤原宮を作る時に、宗吉瓦窯で焼いた「複弁八葉蓮華文軒丸瓦」と呼ばれる瓦が
使われたことが明らかになりました。瓦というものは、型に押しつけて
模様が付けられるんですが、その時にどうしても傷がつくみたいなんですよね。
奈良で見つかった瓦と、こちらで発掘された瓦の、
その傷の場所が一致したということで、藤原京との繋がりが証明されました。
聞くところによれば、藤原宮を作るってなった時に、
瓦が200万枚必要だったそうで、周りの地域一体だけでは
到底まかないきれない、ということで各地から瓦を運ばせていたそうです。
ちなみに、宗吉瓦窯は藤原宮から、およそ200kmの距離があって
瓦を供給していた瓦窯の中でも1番遠く離れたところなんです。
かなり早い段階から、三豊市は窯業が盛んで、
瓦に力を入れていた地域だったということがわかっています。
人材もいた、技術もあった、ということで、都から供給依頼があっても
対応することができたのかなぁ、と言われています。
こちらが藤原宮に使われた「複弁八葉蓮華文軒丸瓦」です。
宗吉瓦窯跡史跡公園として、ていねいに管理し
宗吉かわらの里展示館をオープンさせたことに対する思いはなんですか?!
文化財というものを地元に根付かせて、身近に感じてもらいたい、
というのが1番の目的ですね。
当時、焼き物の中心になっていた窯跡なので、体験を通したり、
史跡を間近に見ていただくことで、時代や古い暮らしを感じていただいて
且つ、文化財に興味を持っていただいて、
少しでも知っていただけたらなあ、という気持ちがありますね。
塩冶さんにとって、宗吉瓦窯とは?!
宗吉瓦窯っていうのは、24基で日本一。
瓦窯っていうのは、なかなか残りがいいものが少ないんですが、
宗吉瓦窯には16号窯のような状態のいい瓦窯跡も残っています。
これは、全国的にみても、誇るべきことであると思っています。
それから、当時、こんな遠くから都に瓦を運んでいたということは
それなりの実績があったということだし、
それだけの技術が評価されていたということを考えますと、
瓦や窯に力を入れていた、ということが分かりますよね。
今でも岡本焼きとかって残っていますが、
ちゃんと昔の歴史が生きている、生かされているということなので
この宗吉瓦窯跡っていうのは、全国的にも誇れるものだし
もっともっと三豊市がアピールしていくべきものだと思っています。
遠く離れた藤原京で、三豊市の瓦が使われていたなんて!!
とても名誉なことであり、誇らしい気持ちでいっぱいです。
塩冶さんのお話を聞いたり、館内の展示物を見たり…。
テレビ学習も、興味深く見せていただきました。
ほんまモンレポーター、宗吉ガイドになる?!
いえいえ、奥が深くて、自分なりの解釈をするだけで精いっぱいです。
あ!!でも、3人とも「複弁八葉蓮華文軒丸瓦」は暗唱できるようになりました
いろいろなつながりが見えてきて、とっても面白い三豊市の歴史。
まだまだ、いろんなところを巡って調べていきたいです。
お土産にいかがですか?
体験学習も充実してます!
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