三豊市仁尾港沖に浮かぶ蔦島。
大蔦島と小蔦島をふたつ合わせて蔦島と呼ばれる自然豊かな無人島です。
前回の記事はこちら
仁尾町で蔦島に詳しい、中井良祐さんにお話を伺いました。
仁尾の観光の目玉としては、1番に蔦島が挙げられます。
大蔦島と小蔦島がありますが、上空から見ると鶴の形と亀の形に似ていて
鶴島・亀島とも呼ばれています。風景のいい所で白砂青松。
海は静かで波もないし、泳ぐにしても、キャンプするにしても
高い山もあって散策にするにしても蔦島はいい所です。
観光地として盛んだったころには、絵はがきが販売されていました。
モノクロ写真の貴重な絵はがきを見せていただきました。
絵はがきからも、松の緑や磯の香りが感じられます。
昔は「蔦島まつり」という大きなイベントがあったそうです。
蔦島が沈んでしまうのではないか、というような評判が出るくらい
大人気のイベントでした。カラオケがあったり、踊りがあったり、
それはもう、大盛り上がりでした。この辺りではイベントが少なかったのでね。
大蔦島には由緒ある神社やお宮を始め、自然が作りだした奇巌石が数多く
残っていて、砂浜海岸と岩石海岸の2つの顔を楽しむことができます。
中央のところに大観亭という建物があって、ここに上がって下を見ると
一面が松の畳みたいな感じで、それはきれいなんですよ。
ずんずん登っていくといろいろな建物がありますが、
赤ちゃんが欲しい人がそこに参りに行くと必ず子宝に恵まれるという
天狗神社や賀茂神社の沖津宮があります。
毎年、秋祭りには船を仕立てて沖津宮で拝むという風習が続いています。
人が暮らしていたこともあるんですか。
蔦島の頂上から見ると、西側の方にいっぱい畑があって
いろんなものを作っていたように、記憶しています。
家もあって、昭和40年ぐらいまでは人が住んでいたと思います。
海上交通での物流が盛んであった理由には、
自然の防波堤の役割も果たしてきた蔦島の存在がありました。
昔は海上交通が主な物流の手段でした。
この周辺のすべての品が仁尾に集まってきて、大変栄えていました。
蔦島があったから波よけや風よけになって、
荷物の上げ下げするのも、船の事故が極端に防げて船運が栄えたんです。
大蔦島の北端の近くに浮かぶ平石という大きな岩には、
丸亀の京極さんが年に一回いい時期に遊びに来られていたそうです。
仁尾は多くの品物もあって栄えるので醸造の権利が与えられ、ますます栄えました。
中井さんの想いを聞かせてください。
海離れなどと言われる時代になってしまいましたが、
砂浜がきれいで海もあって、町から離れた島という隔離された場所で、
テレビも何もない所で泊まって、自分で魚料理やバーベキュ―などの
生活体験を子どもにさせてやりたいと思いますね。
四季の蔦島という歌謡曲も作られていて、
歌詞には蔦島の自然の豊かさや歴史の深さが書かれています。
みなさんもぜひいちど、蔦島に訪れてみませんか。
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