2013年04月16日

瀬戸内海だけじゃない! 山を感じるアート作品 

4月20日&21日 三野町宗吉瓦窯跡史跡公園で行われる
 ”TSU-KU-RU"フェステバル みとよ2013



その見どころの1つ 
TEAM"YAMANAMI"による野外造形展プラン
「かがわ・山なみ芸術祭プロローグ
        〜海から山へ〜 風を感じて」



制作お手伝い一般募集に参加して来ました

参加した13日は、土台作り
中心となって活動をされていたNPOかがわ・ものづくり学校の翠さやかさん(右)
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NPOかがわ・ものづくり学校の小橋順明さん(右)
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アート作品のコンセプトアート

春の海風から
 「かわらの里・三豊という土地」
   「長い歴史:時間と現在ここにいる私」
      そして、かがわ・山なみ芸術祭の「はじまり」を感じていただけたら・・・


ここ「国指定史跡 宗吉瓦窯跡」は飛鳥時代(650年ごろ)
奈良の「藤原京」のための瓦を焼いていた当時としては日本最大規模の瓦窯跡群です
実際に瓦を焼いていた当時は目の前まで海の迫る入江でした
現在は平野内陸の小高い丘のようですが、
丘の上から瀬戸内海を望むと海からの良い風と共に当時の風景が浮かんでくるようです

かがわ・山なみ芸術祭のコンセプトは「海と山をつなぐ現代美術展」です
海からの風を受け止める入口のような「宗吉瓦跡史跡公園」は、
かがわ・山なみ芸術祭のスタートを切るのに最もふさわしい会場だと感じました

"TSU-KU-RUフェスティバルみとよ2013"は、
地域と作家の "手作り" による協働をはじめとして、
"つくる" を起点にさまざまに人が "つながる" ことで
かつてない未来への可能性を持ったイベントになろうとしています


この広々とした公園を見下ろす高台で、風を感じる
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セメントをつめ IMG_1400.JPG

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型から外すと IMG_1403.JPG

土台となるセメントの形を整えます
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こうして土台が点々と並んでいます
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ここに、4月18日のワークショップで、風を感じるワイヤーを立て、作品が完成!

その機会が、4月18日 13:00〜16:00 棒ユニット組み立て作業 ※雨天決行
一般のかたが作品創りに参加できるチャンスとなりますよ!
場所は三豊市 宗吉かわらの里展示館
お問い合わせは 電話1(プッシュホン)087-878-0921(かがわ・山なみ芸術祭実行委員会 )

山の芸術祭
見に行くだけではなくて、作品作りに参加したら、思い入れもグッと深まります



posted by ほんまモンリポーター at 17:17| Comment(6) | モノづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いろんなイベントにいろんな方々が関わってるんですよね

晴天だといいですね
Posted by 来夢来人 at 2013年04月16日 19:52
この宗吉瓦窯跡史跡公園が整備されるとき、はたして見学のリピーターがいるのかナって心配もしていましたが、その後のイベント企画がいいので、けっこう人が集まっているようですね♪ 
きっとすばらしいアイディアマンがいるからでしょうが、このTSU-KU-RU"フェステバルが開かれるのも、そんな地元の人たちの、日頃の努力の成果なんでしょうね\(^o^)/
Posted by リタイアマン at 2013年04月16日 20:40
来夢来人さま

コメント、ありがとうございます♪
本当にどんなイベントにも、先日のうどんブームにも、必ず裏でたくさんの方のお力があってこそなんだなあと感じます
このブログでは、そんな三豊市を支える、いろんな顔をもっと紹介して行きたいです!
Posted by 乙姫さくら at 2013年04月17日 05:56
リタイアマンさん

コメント、ありがとうございます♪
宗吉瓦窯跡史跡公園は、日々の来場者が多いわけではないかもしれませんが、地域の人達にとっても、また最近は様々な施設の方の見学コースとしてなども、認知されてきているようです。
きれいで広い気持ちのいい広場がありますので、一度行ったらこんなところがあるんだ〜って気持ちよさを感じてもらえると思います(^O^)
Posted by 乙姫さくら at 2013年04月17日 05:58
毎日、楽しい記事をありがとうございます。

「藤原京の瓦」 スゴイですね!

資料によると、地名に残っている綾川町の陶は、
この三豊から陶器の生産が移ったそうです。

また、箱の神社の神職の方が書かれた内容によると、

第10代崇神天皇の御代、三輪の神を祀った 
大田田根子は、三豊の人と記されていました。

田根子の出身地は、茅渟県陶邑(ちぬのあがたのすえのむら)です。

また、竹は外来のもので、讃岐忌部が持ち込んだとも言われており、
古代には、竹とは山笹の事を言っていたそうです。

茅は、(くきが長く突き出た)という意味があります。
そして、当時は竹は持ち込まれたばかりで、
まだ現在のように全国に広まっていなかったと仮定します。

すると、まだ讃岐辺りにしかなかった竹を、茅と表現し、限定の意を表す、
滞るを使ったとすれば、茅渟県が讃岐(または、その一部)で、
陶邑が三豊と言う風にも想像出来ます。

その頃は地名も共通して共通して使用されてなく、
それぞれが象徴的なイメージで場所を著したのかもしれませんし。

現在の感覚で畿内に求めるので、その地が今も分からないのでは? と。

まだ中臣氏に取って代わられる前だったその当時、
忌部氏が宮中において神事を行っていたので、
三輪の神を祀る田根子を、同じき忌部の地である当地に求めた事も考えられます。

宗吉の瓦が藤原京において使われていたのも、
忌部から考えれば、中央との濃いつながりが見えて来て、納得出来る様な気も致します。

以上、期待も含めて考えてみました。

Posted by 讃岐忌部 at 2013年04月17日 11:28
讃岐忌部さま

深いふか〜いメール、ありがとうございます。
宗吉でお話を伺い、本当にすぐそこまで海だったことや、奈良まで瓦を運んでいく人達へ思いを馳せる・・・古代ロマンを感じます。

私が知ってることなんて、本当にわずかなんだなと・・・
Posted by 乙姫さくら at 2013年04月18日 05:46
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