大水上神社の宮本宮司。
神社の敷地内や付近で色々と発見された
出土品などについても教えてくださいました。
実は考古がとてもお好きな方なんです。




こんにちは、かやもんです。
大水上渓谷からは1,000年前の土器、
平安時代末期から鎌倉時代のものがたくさん出ているんだそうです

お祭りの祭、神様にお供えしていた食事、
ご飯・おかず・漬物・煮付・刺身などを盛る器を
土器(かわらけ)、正式には瓶子(へいし)と言うそうですが、
その都度焼いていたんだそうです。
そして、お祭りが終わると割って破棄していたので、
その破片がたっくさん出てくるのだそう。
これもあれも・・・と指して教えていただきました。
土から出ているのが分かりますか?
発掘していないから、たくさん埋まってます。
が、みなさん見るだけにしてくださいね

敷地内には国に指定された史跡もあります!
それが国指定史跡 二ノ宮の瓦窯跡です


大正14年に社務所用の土壁の土を採取していたところ
発見されたんだそうです

屋根部分がある状態での発見は珍しいですって

また、近くには銅鐸銅剣が一緒に発見された向谷遺跡があります。
一緒に出るというのは非常に珍しく、全国で3例ほどしか無いのだそうです。
現在は、東京国立博物館に保存されているのだとか

次回、大水上神社シリーズ最終回では
三豊市の文化財に指定された神社史やお祭りについて
お届けしたいと思います。
最後までどうぞお付き合いくださいませ

【関連する記事】
全国で3例とは、貴重ですね。他の2か所はどこでしょうか?
私も過去にテレビで、兵庫で一緒に発見された事は
見ました。
今回調べて、小豆島でも発見されていると知りました。
近畿中心の銅鐸と、北部九州中心の銅剣が、入り乱れた所と解釈されております。
播磨国風土記によれば、兵庫は、三野郡から移住している縁の深い所なので、
逆説的に、一緒に存在した所から分派した、と想像をふくらませました。
また楽しいレポートをお願いします。
コメント、ありがとうございます♪
他の2ヶ所、お聞きしていなかったです〜(;_;)
きっと、考古学に詳しい宮司さんであれば、ご存知だったかもしれませんね!!!
銅鐸と銅剣が一緒に見つかることは、使用内容の違いなどからも、珍しいことなんだそうですよね!?
すみません、ちょっと聞いた程度のお返事で・・・。
逆に、いただいたコメントで、勉強させていただきました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
宮本宮司のお話中、
へー!すごい!と驚くばかりで
突っ込んで聞くところまで気が回っていませんでした。。。
自分で調べつつ、今度宮司にお会いしたら聞いてみたいと思います!