こんにちは!もりいちです!
もういつの間にやら10月ですね
瀬戸内国際芸術祭2013秋会期も始まり
これからは秋祭りシーズン
秋祭りと言えば、太鼓台をイメージする方も多いはず!
毎年、三豊や観音寺などの秋祭りで、きらびやかな装飾を
施された、迫力満点の太鼓台を見かけます。
そんな、誰もが知っている太鼓台。
しかしながら、その伝統的な文化や歴史においてまで
ご存知の方は少ないのではないかと思います。
というわけで今回、太鼓台文化の歴史について学ぼう!
ということで、以前こちらのブログでもご紹介しました
瀬戸内国際芸術祭2013夏会期後援事業
『太鼓台文化の歴史展』
を監修されました尾崎明男さんにお話を伺いました!
→太鼓団文化の歴史展の記事はこちら
こちらの方が、尾崎明男さん
長年に渡り、太鼓台文化の研究をされてきた
パイオニアといっても過言ではない尾崎さん。
太鼓台初心者の僕でも分かりやすく、教えて頂きました!
太鼓台とは一体!?
太鼓台と言えば、お祭りなどのイベントに登場する豪華絢爛で巨大な
ものを想像するのではないかと思います。どうしてもそればかりに目がいくので
それこそ太鼓台だと当たり前に思ってしまうのですが、実はそうではないんです!
※市民大学講演資料『太鼓台文化の歴史』(尾崎明男さん制作)より
現在の豪華絢爛な太鼓台の大きさは5m級で、重さは3t前後
の巨大さなんですが、実はもっと昔、明治初め頃は3m前後で
装飾も素朴なものが主流でした。それが時代の流れの中で今日の
太鼓台へと変遷していきました。
その為、豪華絢爛な巨大なもの簡素な小さいものも全て
太鼓台であり兄弟分なんです!
太鼓台登場
記録として残っているものでは、各地の太鼓台の登場は
江戸時代中・後期(西暦1700年代前半〜1830年頃)
に集中しており、比較的新しい祭礼の奉納物である事が
理解され始めました。
※市民大学講演資料『太鼓台文化の歴史』(尾崎明男さん制作)より
しかしながら、記録として残っているものが、比較的豪華な
装飾を施されている太鼓台であることから、さらに昔から
存在するのではないかとも言えます。
太鼓台の変遷
それでは一体、どの様に太鼓台は変遷して来たのか?
そこには、「こんぴら歌舞伎」の影響が深く関わっています。
太鼓台に施された刺繍を目にした事があると思いますが
この刺繍のルーツが「こんぴら歌舞伎」。かつて太鼓台に施される
刺繍は、琴平にある歌舞伎衣装の工房の職人さんが手がけていました。
その為、刺繍のデザインも歌舞伎衣装に施す様な平面的なデザインのものでした。
※市民大学講演資料『太鼓台文化の歴史』(尾崎明男さん制作)より
ところが、明治半ば(明治23〜24年頃)。立体刺繍を
得意とする新鋭の工房が登場。従来の歌舞伎衣装の工房と
この新鋭の工房とが共同で、お互いの良いところを取り入れ
太鼓台の刺繍を施す様になりました。
※市民大学講演資料『太鼓台文化の歴史』(尾崎明男さん制作)より
この時期を境に、刺繍が立体化する事により装飾が豪華になり
それに合わせて、太鼓台自体も大きく発達していきました。
その流れが、現在の巨大で豪華絢爛な太鼓台へと続いているんです!
いかがですか!?ここまででも太鼓台文化の奥深さが
感じられたのではないでしょうか。まだまだ続きます。
次回をお楽しみに!
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