2014年01月30日

三豊市市長 横山忠始さんに聞く「最善・次善・次々善」〜その4〜


こんにちは!もりいちです!


三豊市横山忠始市長への
特別インタビューシリーズ最終回!
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ペン横山市長インタビュー@ABC

そして今回、最後にお話いただいたのは
横山市長が、今の若い世代の為にどうしてもやりたかったという
戦争体験談集「太平洋戦争と三豊市」についてです!

      ↓        ↓

Q:体験談集「太平洋戦争と三豊」について
CIMG2916.JPG

太平洋戦争の貴重な体験を持った方が少なくなる昨今。
2年間かけて、三豊市の先輩方の戦争体験談を
まとめた本を、昨年作りました。

遅くなってしまいましたが、次々善には間に合ったのかなと思います。
これは、今の若い世代の為にどうしてもやりたかった!


私たちの郷土で、これほどの戦争体験をしている人がいるのに
何も残っていない。しかし、この本が一冊でも残ったことで、先輩の
ご遺志を少しでも残せたのではないか。


そして、協力して下さった皆さんのおかげでできて
本当に良い物ができて、自分の中の満足感は大きいです。

戦艦大和の巡航船に乗って爆撃され、漂流して生き残ったという
友人の父親。その方が亡くなってから、この話を聞いて非常に残念に思いました。
戦争経験者が皆、口をつぐんでしまって、伝わっていないんです。
こういった体験談は伝えていかなければなりません!

これについては、市政とは別なんですが、
政治の原点は絶対に「安全保障」なんです。
皆さんの安全を保障する。犯罪からはもちろん、災害からもそうですし、
まして戦争なんてあっちゃいかん!人命や生きることの確保が政治の
一番大事なことだと思います。



そして、「詫間海軍航空隊」の滑走路跡に行くと元気になるんです。
というのも、あそこから特攻隊が出たこと知らなくて
詫間町長になった時に、初めて知って驚いたんです。

小学校一・二年くらいから釣りが好きで、そこでよく釣りを
していたんですが、よく考えると、その10年程前には
特攻隊がそこから出て行った。わずか10年のタイムラグです。

そのそばで、のんきに小学生が釣りをしている。
その10年前には、そこから皆が涙をこらえ特攻隊を見送った。

「この歴史って何なの、この差って何なの、
戦争と平和のこの落差って何?」

本当に、表現できない程のショックを受けたんです。歴史って言うのは怖い。
わずか10年でこんなにも違う。そんな思いがあります。
IMGP0660.JPG



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今回、横山市長に一市民として特別にインタビューをさせて頂く
機会ができて本当に良かったです!

横山市長の考えや思い。といったものがひしひしと伝わってきて
感動する部分、共感する部分がたくさんありました。

僕自身も戦争のない、よりよい社会を作っていく為に、三豊の
街づくりに、より積極的にかかわっていきたいと感じる。
そんなインタビューでした!


ペン太平洋戦争と三豊@A

位置情報史跡 詫間海軍航空隊跡

より大きな地図で 三豊エリアA を表示
posted by ほんまモンリポーター at 16:36| Comment(2) | ◯秘!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
それぞれの市民ができるところで出来ることをやればきっといい三豊市になると思います

ほんまもんレポーターのみなさんどんどんいい物探して紹介してください
Posted by 来夢来人 at 2014年01月30日 22:08
来夢来人さま

人それぞれ、必要とされるものも、興味も、異なるものですね! 
今後も、いろいろな情報を、発信していきたいと思います!
よろしくお願いします(*^_^*)
Posted by さくら at 2014年01月31日 11:56
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