2014年02月06日

史跡『詫間海軍航空隊跡』〜その2〜


こんにちは!もりいちです!


前回に引き続き
史跡「詫間海軍航空隊跡」をご紹介します!
IMGP0666.JPG

この史跡の周囲に形として残っているのも、防空壕が数カ所と
海岸線にある、水上機が上陸する為のスリップ(滑走台)のみ・・・
かつての詫間海軍航空隊の面影はほとんど残っていないんです。
IMGP0661.JPG



史跡から詫間湾を眺めると、一面に工場が林立し
左手を眺めると、詫間電波高等専門学校目
IMGP0669.JPG
IMGP0690.JPG



史跡の反対側、道路を渡ったところ数カ所残る防空壕目
そこには、戦没者の名前が刻まれた慰霊碑も。
IMGP0683.JPG
IMGP0676.JPG



そして、詫間湾の海岸線へ行くと工業地帯目
唯一、堤防から突き出した4つの水上機のスリップが残っています。
IMGP0693.JPG
IMGP0697.JPG



ひらめき三豊市の過去に、まさかこんな事実があったとは
全く知りませんでした。

戦争体験をした世代がいなくなって行く昨今。
今の若い世代が、戦争体験について知る機会は少なくなっています。

今現在の平和のありがたさを再確認する為にも
是非、史跡「詫間海軍航空隊跡」に訪れてみて下さいね!


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 @ABCD

ペン「詫間海軍航空隊」参考サイト
 @AB


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posted by ほんまモンリポーター at 07:55| Comment(2) | ◯秘!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
詫間の近くの出身ですが、そちらにいた時に「詫間の海軍」の事は聞いたような聞かなかったような。。
昭和30年代の生まれでも、それぐらい話の端に上らなかったという事だと思います。

鈴鹿では数年前に海軍鈴鹿航空隊の3棟の大格納庫が、民有地で民間管理物だという事で取り壊され処分されました。

物とか証言とか、人の口に上る事が無ければ国の為に懸命に戦ったり働いた人達が居た事さえ忘れるように思えます。

丁寧ないい記事だと思いました。
Posted by 鈴鹿航空隊車輌部 at 2017年01月22日 22:23
鈴鹿航空隊車輌部さま

コメント、ありがとうございます。
取材を通して、住んでいる場所の歴史を知り、貴重なお話を聞かせていただく時間でした。ブログに残すことで、このように感じてくださる方がいること、大変ありがたいことだと感じております。
Posted by ほんまモンリポーター at 2017年01月23日 08:58
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