こんにちは!もりいちです!
三豊のお隣多度津町
桃稜公園にあります一太郎やぁい
の銅像をご存知でしょうか?
気になる方はこちらへ
そして三豊市の方ならご存知の方も多いはず!
大久保ェ之丞の銅像
銅像のある場所はこちら
これらの銅像は同じ鋳造所で作られたという
共通点があるんです!その鋳造所というのが・・・
こちら山本町にあります原銅像製作所
そして今回。多度津と三豊両方に関わるということで
久々のコラボレーション企画が発動
週刊みとよほんまモンRadio!
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多度津EXPRESS旅はここから!
旅ここのマリリンと共に、原銅像製作所に突撃
鋳造の歴史についてのお話、昔の貴重な資料の数々。
さらに工場の見学と、まさに至れリ尽くせりな取材になりました
原銅像制作所とは
創業は慶安年間(江戸時代)で、約400年の歴史を有し、
日本の美術鋳造の伝統技術を受け継いできた、歴史的に大変貴重な
鋳造所で、市指定無形民俗文化財でもあります。
銅像技術において、原型・鋳造・着色に至る全行程を一貫して行える
日本でも数少ない美術鋳造所で、銅像・仏像・美術工芸品などを手がけ
県内外から注文を受け、数多くの作品を世に出しています。
また安永5年(徳川幕府の時代)に、鋳物師の登録とその座法の
強化を図るための命令で、朝廷の役人が朝廷裁可の許可状である
「勅許状」を出し、その勅許状を持つ鋳物師を「勅許御鋳物師」
と呼ぶのですが、原銅像製作所は鋳物職を代々継承してきて
現代で13代目で、2つの勅許状を所蔵しています。
鋳造の歴史
「青銅」の歴史は古く、紀元前3500万年頃のエジプト・メソポタミア
に始まり、古代中国の王朝「殷」の時代に青銅器の技術が発達しています。
その後、金属文化が朝鮮半島に渡り、銅や鉄の鋳物文化が日本に伝えられました。
かつての近江国(現在の滋賀県)には、金属文化に関するものが多く残っていて
そこから香川県の西讃に伝わったのでは、とも言われています。
そして原銅像製作所の先祖は、豊臣の時代までは武家をしていて、江戸時代より
郷土で鋳造業をしていました。寛永年間に、当地の祖の原甚太夫正孝が鋳工団を
率いて、西讃の開墾事業の始まりとともに花稲村(現:観音寺市大野原町)に往来。
新田開発が進み、住民の生活用具の需要に応じて、鋳造業が定住していったと
考えられています。さらに寛永前期には、材料の土・砂・水。また燃料の
雑木・松が豊富だった豊田郡原村(現:観音寺市原町)に転住。
その後、さらなる開拓・進展・需要増大にともない鋳物師辻(現:山本町大字辻)
に移り現在に至まで鋳造文化を守ってきました。
続く
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「多度津EXPRESS旅はここから!」取材記事はこちら
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原銅像製作所HP
参考:「織田朱越作品集」織田朱越翁を顕彰する会・三豊市HP
より大きな地図で 三豊エリアA を表示
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