2014年05月23日

韓国の桜〜その2〜

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今年3月に開催されましたオイスカ三豊推進協議会主催の「韓国ハプチョン郡植林ツアー」で、参加者29名の方々の思い出に強く残ることとなった
「釜山日本人学校」・「ハプチョン郡原爆被害者福祉会館」・「日本人妻の墓地」
についてご紹介します。>前回の記事はこちら



○釜山日本人学校

今回の植林ツアー開催のきっかけとなった政木恵美子さん(平成26年3月末退職)
が校長をしていた釜山日本人学校。この学校は親の仕事の関係で釜山市近郊に住む
日本の子ども達が学ぶ生徒数36名の小規模校です。

そして、政木校長が教育の上で大切にしていることが「正直・誠実」。
正直であり誠実であるということは一番大切であり、それがあれば世界中
どこへ行っても生きていけると教えています。

今回のツアーでは、この学校を最初に訪れました。
政木さんの高瀬高校時代の恩師の方も参加しており、そこで46年ぶりに
感動の再会を果たしました。

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また、この学校では和太鼓を学校の特色にしようと取り組んでおり、
一年半前には三豊市が誇る和太鼓集団『響屋』のリーダー詫間浩二さんが生徒達の
為にオリジナル曲『心の絆』を作ってこの学校で和太鼓の指導しました。

今回のツアーで生徒達は詫間さんとの久々の再会に喜び、一年半練習した
すばらしい和太鼓演奏を披露。そして詫間さんによる久々の和太鼓の
授業には真剣そのもの。

子ども達への非常に熱心な教育で、現地の人々から「カリスマ校長」と
評判の高かった政木恵美子さん。3月で定年されました。

今秋、三豊市の高瀬中学校と高瀬高校で特別講演が計画されているそうです。
政木さんの熱い言葉をこれからの三豊の若い世代に受け取ってもらいたいですね。




○陜川郡原爆被害者福祉会館
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<福祉会館>

1945年8月。広島と長崎に原爆が投下された時、広島にいた多くの韓国人も
被爆しました。そこにはハプチョン郡からの労働者が多く、大勢が被爆しました。

その後、原爆被害者の多いこのパプチョン郡に原爆被害者福祉会館が
建設されました。現在約100名の方が入所しています。
ここが今回のツアーにおいてメインとなった場所です。

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<慰霊碑>

ツアー参加者29名と釜山日本人学校生徒36名、ハプチョン郡の
ヤロ中学校生徒27名は、まず約1000体の御霊が祀られる
福祉会館裏手の「慰霊閣」をお参りします。

その後「ソーラン節」や「コヒャエンボ」という韓国童謡を披露し、入所者の方々と
交流したわけですが、まさにツアーにおけるハイライト、大感動の交流でした。


お互いに初対面であるにもかかわらず、うれしそうに手を握り
「ありがとう、ありがとう。」とおっしゃってくれる方、日本で原爆の被害に
あったにもかかわらず「第二のふるさとは日本です。」と言ってくれる方。

そこには被爆者の方々の寛容があり、また日韓両国の子ども達の
思いやりの心があり、感動の涙無くしては語れない交流となりました。

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その後、福祉会館の前庭に桜の木30本を日韓両国の生徒達とともに植樹。
その様子を見つめる入所者の方々。この桜の木がこの場所に根を張り、
毎年春には花を咲かせ、交流や植樹の思い出とともに被爆者の方々を
癒すことを願わずにはいられません。

そして、もう一カ所植樹をした場所が、福祉会館の近くを流れるハンガン川沿いの
ハンガン生態公園。ここに桜の木を50本ともみじの木を50本植樹。
なぜ2種類の木を植樹したのか・・・?

それは、春には桜の花、秋にはもみじの紅葉と年に2回楽しむことが
できるからです。日韓共同で植林することで友好を深め、
その思い出・記憶が長く根を張る、木という形で残ります。

まさにこれは単純に「木」を植える活動ではなく、
「気」を植える活動なんです。


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●次回、「日本人 妻の墓地」についてご紹介します。

※掲載写真は植林ツアー参加者の山西勤さんよりご提供頂きました。
posted by ほんまモンリポーター at 09:48| Comment(0) | ◯秘!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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