こんにちは!もりいちです!
今日8月15日は終戦の日です。
悲惨な戦争が1945年に終わり
今年は2014年。もう69年経過しました。
ということもあり今日の11時55分からの
週刊みとよほんまモンRadio!
のラジオ放送は太平洋戦争特集と題しまして
『太平洋戦争と三豊』体験談話集策定委員会の
メンバーとして体験談話集の制作に携わった
中井良祐さんのお話が放送されます!
終戦の日。戦争体験者の方のお話に耳を傾けてみて下さいね。
その後、お昼12時の時報に合わせて戦没者の方々の
ご冥福を祈って是非黙祷を。
周波数は78.6です。お忘れなく!!
●『太平洋戦争と三豊』関連記事
●『太平洋戦争と三豊』販売について
※豊中支所の生涯学習課の他に、三豊市内の各公民館にも置いてあります。
中井さんの貴重なお話はこちらの
ブログでももちろんご紹介
こちらの方が今回お話をお聞きした中井良祐さん(85歳)です。
太平洋戦争末期の昭和20年4月16日。
当時、観音寺商業学校4年生で16歳だった時に学徒動員により
学業を取り止め、第十一海軍航空廠詫間工場(現:香川高専詫間キャンパス)
に配属され航空機の修理にあたりました。同じく観音寺商業学校
3・4年生約200名も動員され、「欲しがりません勝つまでは」と
お互い励まし合い、ひもじさを断ち切って過酷な作業にあたっていました。
※香川高専詫間キャンパス↓
この詫間工場というの巨大な格納庫が2棟程あり、またその他にも木造の
修理工場がたくさんありました。そこでは800人くらいが働き
二式大艇という巨大な水上機などの修理を行っていました。
呉にあった工場が空襲で焼かれたことで詫間に工場ができ
詫間工場は海軍航空隊の最後の水上機の修理場所であり要となりました。
終戦間近にはここから特攻隊が鹿児島の基地へ飛び立ち、そこで編隊を組んで
戦場へ向かっていったんです。若くて18〜19歳くらい、自分の年齢より
ちょっと上のお兄さん達が特攻機に乗っていく。その時笑っていくんですね。
本当に想像できない。私なら泣きます・・・
また米軍のグラマン(艦載機)の機銃掃射には胆をつぶされる程の
驚きと戦争の恐怖をはじめて体験しました。飛行機が音もなく
すごい速さで襲いかかってくるとは思いもよりませんでした。
終戦の日はこの詫間工場で迎えたのですが玉音放送は
何を言っているのか聞き取れず、その時戦争がどうなったのか
分かりませんでした。戦争が終わったことが分かったのは
後になってからでした。
それでは次回、二式大艇と太平洋戦争と三豊について
のお話をご紹介します
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