2014年08月16日

二式大艇と太平洋戦争

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こんにちは!もりいちです!
前回より引き続き戦争体験者であり
『太平洋戦争と三豊』体験談話集制作に
携わった中井良祐さんのお話をご紹介します。

中井さんが第十一海軍航空廠詫間工場でかつて
修理していた大型飛行艇「二式大艇」について
そして体験談集の制作に携わった思いをお伺いしました。

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○二式大艇
周囲を海に囲まれた日本にとって水上機は非常に重要でした。
そして二式大艇という日本最後の巨大飛行艇(水上機)は、当時の日本の航空機に
関するあらゆる技術をつぎ込んで作られた世界一の高性能を誇るものでした。

そして現在九州の鹿屋航空基地資料館に一機の二式大艇が展示されています。
当時のものが現在も残っているということはすごいことです。
それというのも、終戦時に詫間にこの二式大艇が一機だけ残っており
戦後詫間工場で修理され横須賀基地まで飛ばしました。

※鹿屋航空基地資料館の二式大艇↓ 機体の尾翼にT-3
と記載があるのですがこれは詫間に所属していたことを示します。

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その後アメリカはこの機体をバラバラにして国に持ち帰りました。
日本の水上機を始めとした航空機の技術がすごかったことから
この機体を調査・研究する為に持ち帰ったのだと思います。

それから戦後30年経過して二式大艇は日本に帰還し、東京にある
船の科学館で復元され平成16年に現在の鹿屋航空機資料館へ移されました。



○太平洋戦争と三豊
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市長さんの提案でこの体験談集を作ろうということで
いろいろな人が集められて、各町から体験談策定委員が選ばれました。
私は一人で仁尾町を担当したのですが、生き残りの兵隊さんなど会いたいと
いろいろ調べましたが5〜6人しかいませんでした。

その方々達に何度もお会いして聞き取り調査をしました。
8年もの間、戦線で戦った方の話を聞くとその方一人だけで一冊の本
ができる程の話でした。

それを何ページかに納める為に話を聞いては書いて、書いては
見てもらい直す作業を行いました。私がお話をお聞きした方々は
今ではもう全員亡くなりました。

戦争体験者というのはもう数年早ければもっと多くの様々な体験があったはず
と今になって思います。ですからそれらの体験談を一冊の本にしたことは
本当にすごいことであり、市長さんの英断だと思います。

しかし、皆戦争は無い方が良いに決まっていると思っているはずで
ありながらこういう戦争の本は避けられる傾向にあります。
また戦争体験を物語ってくれる方も少なくなってしまっています。
そんな中でも戦争の悲惨さ書き記していくことは本当に大切なことです。



※詫間海軍航空隊のスベリ跡から望む詫間の海↓
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詫間海軍航空隊跡から望める燧灘。今見たらまったくもう奇麗な海であり
こんなにも静かな海で戦争があったとは想像がつきません。
是非一度、かつて詫間海軍航空隊があった場所に足を運んでみて
戦争当時に思いを馳せてみて下さいね。

posted by ほんまモンリポーター at 07:00| Comment(0) | ◯秘!? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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