
来週&再来週の2回の週末行われる
仁尾まちなみ創造協議会 藤田一仁さんに
仁尾の歴史や『屋号』というものを、教えてもらいました!
Q.仁尾町の歴史について、教えてください
A.古くは、京都の賀茂神社の荘園として、
その後、江戸時代には丸亀藩の商都として栄えた町です。
江戸時代には、丸亀藩から、酒、醤油、酢などの
醸造許可をもらい製造・販売をしたり、
土佐藩から土佐茶(碁石茶)の販売を任されたりしていました。
また、塩の製造販売も、仁尾を支える大きな産業でした。
今も残る塩田邸、現在の松賀屋は、
かつて塩業の発展に貢献した旧塩田忠左衛門のお屋敷です。
その後、時代が変わる中、現在のような静かなまちになりましたが、
そのおかげで、古いものや懐かしい街並みや空気が、今も残っています。
Q.仁尾に残る『屋号』とは何ですか?
A.江戸時代、原則としては身分制度により武士以外の者が
苗字を名乗ることが認められていなかったために、
家ごとに名称を付けたものだと言われています。
屋号はいろいろな由来があります。
@家の成り立ちや出身地、取引先に由来するもの
例:伊予屋、土佐屋、阿波屋、児島屋など
*ちなみに仁尾には香川を表す、讃岐屋はないそうです。
A家の成り立ちに由来
例:塩田王塩田邸は本家『松賀屋』、その親戚の分家は『新家』
B家の立地している地理的特徴に由来
Cその家の成業に由来
例:ガラスパールを作っていた家は『玉家』
D創業者の姓名、家長が代々襲名する名乗り
E家紋、社章などのシンボル
F神仏名、めでたいもの
例:京都の賀茂神社ゆかりの家は『加茂屋』
このような屋号が、仁尾町ではまだ当たり前に使われています。
50代よりも上の方なら、大体、この名前でどこの家かわかります。
今回、現在詳しいお話を聞くことができた、28軒の家の屋号を取りあげて、
アートとして、見てもわかりやすく楽しい仕掛けを作って、
まちあるきを企画しています!
かわいい屋号の一部、こんなデザインができました!


かわいいでしょ!
このデザイン一つ一つに意味があって、
説明を聞いたら、「なるほど〜」って唸ってしまいますよ♪
このデザインが、三野町に残る伝統文化『張り子』にプリントされて、
それぞれの家の玄関に飾られますが、まちあるきでは、
それを一つ一つ説明を聞きながら、ゆっくりと散策を楽しみます。
楽しくもあり、貴重な機会でもありますので、お見逃しなく!!!

また、屋号がアートに変身していくお話、続きのブログでご紹介します!
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