瀬戸内海の島々には、『島四国八十八カ所』が今も残っている島があります。
三豊市の粟島には、今も、『島四国八十八カ所』として、
島内を半日ほどでぐるりと回れる遍路道が残っており、
毎年、4月29日(祝)には島民の方がお接待してくれ、
誰もが、島内をぐるりとお参りする文化が根付いてます。
◎粟島島四国八十八カ所に関連した過去の記事はこちら
そして、船で15分、隣の志々島。、
実は、志々島にも、島四国八十八カ所があったことが確認でき、
現在、まちづくり推進隊詫間の方を中心に、調査&整備をされています。
11月の雨の日でしたが、志々島八十八カ所をまわってみようということになり、
ご一緒させていただきました。
志々島へ到着
ご案内をしてくださるのは、
まちづくり推進隊詫間理事長の本田進さん
昨年、志々島を1周ぐるりと回り、島四国八十八か所の名残を調査し、
番号の残る場所を探し、できる限り整備をしてきました。
島全体の地図と番号が記載されています。
お話を聞いてから、回り始めます。
島に残る両墓制の名残である埋め墓の前を通ったすぐに、
志々島八十八カ所一番、二番、三番である石仏があります。
続いて、旧小学校跡地の横の南国風の木の下に、
四番、五番の石仏があります。
いずれの石仏も、隣の粟島にある『船形』の形と同じであるために、
志々島八十八カ所の石仏を寄進したのは粟島の方たちではと言われています。
実際、石仏に刻まれる寄進者の名前ににも『粟嶋〇〇〇(名前)』と
なっているものが多いようです。
また、調査中に砂浜や出会った石仏もあったそうです。
長い間、海にさらされていたせいか、文字も番号も確認ができませんが、
他の石仏と同じく舟形をしているために、
同時代、同目的で作られた石仏ではないかということで、
海際のこの景色のいい場所に、祀ったそうです。
その後、二十四番までは、歩いて回れる歩道沿線にあるために、
ゆっくりお参りをしながら、案内していただきました。
案内をされなければ、気がつかずに、見落としてしまいそうな場所に、
ひっそりと石仏は立っていました。
現在、志々島は、島の外周をぐるりと歩く道は整備されていませんが、
潮がうまく引いているタイミングを選ぶと、
島をぐるりと1周、2〜3時間程度で歩いて回ることができるそうです。
今回、天候の関係で、島の裏側へ歩いていくことはできませんでしたが、
また機会を合わせて、普段歩くことのできない志々島を、
ぐるりと1周歩いて、島四国の名残を参らせていただきたいなと思います。
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