こんにちは、ショウタロウです。
三豊のため池を紹介するこのシリーズ、今回は高瀬町の「瀬丸池」です。
瀬丸池は今から約400年前、寛永6年(1629年)に築かれた大きなため池です。
当時の生駒藩に仕えていた西嶋八兵衛が築造しました。
(西嶋八兵衛。農林水産省HPより)
この西嶋八兵衛という方は、前年の1628年には400年以上廃池となっていた満濃池の修復や、翌年1630には岩瀬池の改修、さらに1637年には当時栗林公園付近を流れていた香東川の付け替えをしたことでも知られている屈指の土木技術者だったようです(詳しくは農林水産省HPを御覧ください。こちら)。
瀬丸池は上流に雨乞いでも知られる大水上神社があり、その神域を流れる宮川をせき止めて造られています。
(池の下流にある橋には「宮川」と書かれていました)
管理の実権を握っていたのは当時の羽方(はがた)村でした。しかし、生駒藩没落後に瀬丸池を支配していた丸亀藩が多度津藩を支藩として分封したことで、後に様々な問題を引き起こすこととなりました。
つまり、一つのため池が2つの藩にまたがって水を供給することになったため、上流部と下流部の村々の間で、水の分配はもとより管理や修繕費・労力に関する様々な争いが絶えなかったようです。
雨の少ない香川では死活問題だったでしょうから、地域の人々はたいへん苦労してきたことでしょう。
瀬丸池にはいくつもの石碑が立ち並び、平成26年の改修で設置された、ため池関連の物品が野外展示されています。
(まちづくり推進隊高瀬の看板)
(石碑は改修記念のものや、当時の偉人の功績を讃えたものなどです)
(鑑石(かがみ石)。ため池からの排水部で分水するための目安に用いられたそうです)
(かつて使われてい樋(ひ))
石碑のある場所から少し歩くと、ため池を見下ろす場所にまた記念碑がありました。
森小八郎(在英)さんを称えるもののようです。
ここからは瀬丸池を眺めることができます。今も見守って…ということでしょうね。
様々な苦労や争いもあったようですが、瀬丸池のおかげで作ることができたやお米や作物、そして救われた人々も多かったことでしょう。
あらためて讃岐における水の大切を感じたため池散歩でした。
⬛瀬丸池
香川県三豊市高瀬町羽方
ありがとうございました!
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