「ミトヨの生き方・働き方を知ってミヨ」
三豊市内で暮らす人たちのライフスタイルを紹介 vol.7-1
自分の好きなこと&できることから、自分だけの仕事を作る!
最近、仕事とライフスタイルがグッと近づき「好きなことを仕事にする!」というようなフレーズもよく見られます。でも、実際のところ、「好きを仕事にしている人」って、どんな人なの? どうやって「好きを仕事」にしたの?
そんなお話を伺いに、三豊市内で、「好きを仕事」にしていそうな方に、会いに行ってきました♪
合同会社FIZM 代表社員 藤岡優さん(前編)
合同会社FIZMは、三豊市を拠点に、動画制作や映像配信サポートを主業務にしています。
経歴
1985年2月 三豊市仁尾町生まれ
2011年 フリーランスカメラマンとして、香川県内を中心にウエディング業界を中心としたカメラマンとしてスタート
2018年3月 三豊市仁尾町で合同会社FIZMを起業
主な事業
・ブライダルの写真&映像の撮影
・行政&企業向けプロモーション写真&映像の撮影
・オンライン時代に向けて配信機材の設計&設置やフォローアップ事業
―なぜ、写真や動画をつかって、何かを伝えるという仕事を選んだのですか?
(藤岡さん)
「人生の何回かの転機の中で、『映像』が持つ力に感動した瞬間があったんですね。そこからずっと映像の持つ可能性を考えていて、感動を届けられる映像を作りたいと思っていたんです。それで、気が付いたら、生まれ育った地元で、『映像』を仕事にすることになっていました。」
―ここ数年で、一般の人たちも、動画を使って自分の伝えたいことを簡単に伝えられる時代になってきましたよね。藤岡さんが起業されたのは、動画を見るのも、作るのもぐっと身近に感じられるようなタイミングでしたね。
「起業した当初は、フリーランス時代のつながりでブライダル関係の仕事が7割くらいでした。結婚式の中で、プロフィールやメッセージを動画で流したり、式の最後にエンドロールと言ってその日の式の様子を流す動画が欠かせなくなっていましたので、仕事はたくさんありました。
でも、なにか新しい事にも挑戦したいという危機感のような気持ちから、行政機関や地元企業にも動画で伝えることの重要性を伝えて、動画制作の依頼をいただくようになり、ここ1〜2年で、地域につながる仕事が増えてきました。」
「最近、三豊市は元気があると言われますが、ここ数年で始まったゲストハウスの公式HP用の写真や動画の撮影依頼も増えました。」
◎荘内半島オリーブ農園内のゲストハウス Kanran公式HP
◎荘内半島の宿 URASHIMA VILLAGE公式HP
「起業して3年目だった2020年は、コロナ禍だからこその、映像の可能性もたくさん感じました。
2020年春、『瀬戸内海と桜』という絶景が見られる場所として世界からも注目をされている紫雲出山が、コロナの影響を考え入山を禁止したために、誰も桜を見に行くことができなくなりました。でも、映像で、その様子を見てもらいたいという三豊市観光交流局の依頼で、動画を撮影しまし、たくさんの方に喜んでもらいました。」
「また2020年は、オンライン配信を円滑に進めるための配信機材の設計・設置・フォローなど、オンライン会議のセッティングやデータ管理、バックアップやトラブル対応など、新しい通信技術に対応するための仕事も加速度的に増えましたね。」
―時代にあわせて、必要とされる映像のレベルが上がるのに合わせて、藤岡さんの映像との関わりも一歩ずつ進化していっている感じですね!
―さて、この三豊市仁尾町育ちの藤岡さん、子ども時代はどんな子どもだったのですか?
「仁尾町は、幼稚園、小学校、中学校までの12年間、1学年100人くらい、ほとんど変わらずにずっと同じ仲間と進学していくんです。仲のいい友達もたくさんいて、駄菓子屋さんに集まってゲームしたり、公園でサバイバルゲームしたりと、好き放題して遊んでいましたね。」
「学校では、いたずらはする、授業は聞かない、宿題もしていかない・・・そんな感じだったので、よく先生が家に来ていました。
両親には、何度も病院に行こうかと思ったと、今でも言われます。」
―仁尾の子ども達は、今でも町内を自転車で走り回って元気な子が多いですよね。
「中学生になって、部活のテニスや、幼稚園から続けていた空手なども頑張りながらも、怒られるようなこともやらかしましたね。当時は、ヤンキー上がりでめちゃくちゃ怖いけれど親身になってくれる先生もいたので、なんとか踏みとどまりました。
でも、中学生にとっての仁尾の町って、『高校に行かなかったら人生おしまい』くらいの狭い世界だったんですよね。これはまずいと気が付いたのは受験2か月くらい前だったのですが・・・、そこから、人生で唯一、まじめに勉強しました!」
―お! では、その進学した高校生活は、楽しめたんですか?
「進学したのがほとんど男子校のような工業高校で、思っていた高校生活と違うって思って、つまらなくなって・・・。だんだん学校に行かなくなって3年生になれずに留年、そこからますます行きたくなくなって退学しました。
周りにも高校辞めて仕事したり、遊んでる友人もいたので、居場所があったんですよね。
仕事しようと土建屋さんにも行ったのですが、それも休みがちで働く覚悟も持てない時でしたね。」
「見かねた両親が、『岡山の全寮制の高校にいれる』と準備を始めたんですが、そんな厳しい学校に行きたくないって思って、自分でも高松の通信制高校のことを調べたんですね。
そして親父に、『ここなら行く』と伝えたら、『こっちの学校に行かせてくださいというお願いだろ』とガツンと怒られましたね。そりゃそうだと思って、親父にお願いをして、結局、高松の通信制高校に、改めて通わせてもらいました。」
―仁尾から世界が広がりましたね! 新しい高校はどうだったんですか?
「高松の学校は、私服でしたし、それまで育った仁尾とは全く違って、楽しかったですね。ヤンキーや学校に行けない子も多い学校の中で、普通に友達もできて、普通にレポートも出してたんですね。
そしたら、ある日、先生から『高校卒業したら、どうするんだ? 大学は行かんのか?』と聞かれまして! つい1年前まで、中卒だったかもしれないのに、大学行けるのか!!!と衝撃で、行けるんだったら行きたいですと、進学を目指しました。」
「小さいころから、親父に『夢は何だ?』とずっと聞かれていました。両親は、外国人のホームステイを受け入れたりもしていて、地域愛というよりは、世界を見てグローバルな視点を持て!と、育ててくれていました。
姉は早いうちに歌手になりたいという夢を決めて、アメリカにも行き、夢も叶えています。」
◎お姉さんは三豊市出身の歌手、藤岡友香さんです♬
過去の取材の様子はこちら
「子どものころから、毎年夏休みに通っていた、英語のサマーキャンプは楽しくて、高校生になってもサポーター的に参加してたんですね。その時の経験から、子ども達と遊ぶの好きだなと思って、保育士になれる大学を目指そうと目標が決まり、徳島の大学に進学しました。」
―やんちゃな子ども時代ですが、大事なタイミングで頼れる先生に出会えていたり、何よりも、ご両親がしっかりと見守って、道を示してくれていたんだなということが、伝わってきて、子育て中の私としては、すっかりご両親目線で話を聞いて、ご両親のサポートに感動してました!
さて、続きのブログでは、映像に出会った大学時代、そして仕事へとつながるお話をご紹介します。
◎大学時代のお話、そして今の仕事とこれからを伺った後編はこちら
合同会社 FIZM
個人のブログ「マメを育てる」はこちら
Youtubeチャンネルはこちら
*全画像提供:藤岡優さん
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