2021年06月29日

「ミトヨの生き方・働き方を知ってミヨ」 vol7-1 藤岡優さん(後編)

「ミトヨの生き方・働き方を知ってミヨ」
三豊市内で暮らす人たちのライフスタイルを紹介 vol.7-1

自分の好きなこと&できることから、自分だけの仕事を作る!

合同会社FIZM 代表社員 藤岡優さん(後編)

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 ◎現在のお仕事と子ども時代を伺った前編はこちら


―さて、大学生活が始まり、徳島での一人暮らしの生活はどうでしたか?

(藤岡さん)
大学時代は、一番の転機ですね!
仁尾町にいた時はみんな知っているので、誰が1歳上とか下とか、上下関係があったんですよね。高校で1年多く過ごしたので、大学入学時点でみんなより1歳年上なことを気にしていたんですけど、意識的にそのプライドを捨てて1年の違いを受け入れたんですね。そしたら、学校が楽しくなってきました。」


―仁尾とは違う新しい価値観にふれて、ぐっと成長した感じですね。学校以外の活動も?

「校内を歩いていたら、ストリートダンス部の練習を見かけました。
ちょうど、中学校時代頃に、TVでブレイクダンスが流行っていて、いいなと思ったけれど、仁尾にはそんな環境はなくて諦めていたんですね。
そこで出会ったダンス部だったので、すぐに入部を決めましたね。
ダンス部って、だらだらしているようなイメージとかないですか? この部活は、伝説的な先輩がいて、その先輩の名前を汚してはいけないと、みんな練習を頑張ってましたね。」

―なんか、あつい想いが青春っぽい感じですね! 
 ダンスとかしたらモテたんじゃないですか!?

「中学、高校といい思い出がなかったですけど、大学入ったら青春を回収してモテるために、ダンスもめちゃ練習しましたね!

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―なんとなくにやけた顔から、モテたんだということがわかりました

「ストリートダンスの中に、いろんなジャンルがあるんですが、ブレイクダンスを選びました。キャーキャー言われるくらいの技は、ある程度練習すればできるようになるんです。そこから、人の真似はカッコ悪いということで、自分なりの技の追求が始まるんですね!
自分だけのオリジナリティーを追求する経験は、今の仕事にもつながっている気がします。」


―本気で活動していたんだというのが伝わってきます!

「めちゃくちゃ頑張ってたので、3年生の時に、部長にならないか!?と言われました。
それまでの学校生活では、もろもろの素行の悪さから(笑)、地域の登校班の班長すら任されたことがなかったですからね・・・。頑張って活動していたので嬉しさと、責任感も感じました。」

「そこからは、自分だけの技の追求じゃなくて、どうやったらダンス部がかっこよく見えるのかという視点で、部活に関わるようになりましたね。後輩からのインタビューに対して、『俺が好きなのはダンスじゃない、ダンス部だ!』と熱く語り、名言が出たと部内でも話題になりました!」

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―すごいあついダンス生活だったんですね!!! やっぱり後輩からもモテただろうな!!!(笑

「大学の部活としての活動だけじゃなくて、県外のコンテストにもチャレンジしてました。
チームメイトが大阪の大きなイベントに出演することになったので、みんなで応援に行ったんです。大きなライブをするzeep大阪を、同じ大学生が借り切ってイベント主催していることに、まず衝撃を受けたんですよ。

そして、イベントのオープニング映像が流れたんですが、ひざから崩れるほどの衝撃を受けました。これが初めての『映像』との出会いでしたね!
2分くらいの映像だったのですが、この2分で会場を最高潮まで盛り上げて、そこから最後までそのテンションをキープさせる、映像はここまで人を感動させられるのかと、映像の持つ力を感じました!」

「そこから、こんな映像を作りたいと思って、パソコン、カメラ、本を買って自分でも映像を作り始めました。ちょうどShowcase(ショーケース)という、部長として最後となる発表会のタイミングだったので、そこで流すオープニング映像を作りました。」


「動画を発表して、Showcaseも盛り上がり、学内の映像学科の先生からも授業で使わせてほしいとか言われて・・・やっぱり、俺の道は『映像しかない』と、やりたいことがはっきり見えました。」

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―保育士さんの夢はなくなったんですね?(笑)

「一応、仁尾の幼稚園にボランティアとかも行ったのですが、ダンス部と、そして『映像』に出会ってしまい、こっちに進みたいと思いました。とはいえ、ダンスをやりすぎて卒業単位が足りないことがわかり、4年生の時は就職活動どころか、単位のために頭下げてレポートを出しまくって、やっと卒業できた感じでした。」


―卒業後、映像の道へ?

俺はBIGになる!だったら東京だと思って!
自分で作った動画を持って、『こんなの作ったんですが働かせてくれませんか?』と売り込みをしながら、東京の映像会社に就職しました。
下積みは覚悟していたんですけど、入社した会社は、企業の案内動画、消火器使い方動画、交通安全VTRなど、主に行政向けの固い映像を作っている会社だったので、ダンス動画は作れそうにもないなと思いました。
しかも、東京では友人もできなくて、会社と家の往復だけ、大学時代みたいに一生懸命になれるものを探したかったんですが、見つけられそうにもなくて。
自分が受け身だったなと反省もしながら、母親からの『仁尾に帰ってきたら』の一言で、じゃあ帰ると決めている自分がいました。東京にいたのは2年弱くらいですね。」


―香川に帰ってくるときは、仕事などの予定はあったのですか?

「映像の仕事もすることはないだろうと思い、ノープランで帰ってきました。
広告会社で仕事を始めましたが、映像を作れることを知ってる友人から、個人的に結婚式用の動画制作を依頼されるようにもなりました。
それで、2011年、26歳の時にフリーランスとして、知人から依頼される動画制作をスタートしました。


―順調に進んだんですか?

「いえ、ラーメン屋のバイトと掛け持ちしながら、たまに依頼される映像の仕事を受けてという繰り返しでした。
しばらくして、ある映像が結婚式場の方の目に留まり、商品としてあつかわないかとお話をいただいてから、100%ウエディング関係の映像の仕事で食えるくらいになっていきました。」

「当時は、ウエディングの仕事が多かったので宇多津に住んでいたのですが、2013年に結婚して、16年に子どもができるタイミングで仁尾に帰ろうかという話になりました!
あ、奥さんは県外の人だったので、『仁尾なんて何もないやん!』という感じでしたけれど、子育て環境のことも考えて仁尾に戻ることにしました。」


―仁尾でしっかり生きていこうと決めたのは、2016年頃からだったんですね。

「仁尾で暮らし始めてから、地元の仲間と海岸清掃をしたり、いろんな取り組みをしてみたんですけど、いまいち盛り上がらない感じがあって・・・。
それを、Cafe de flotsの浪越さんに話したところ、『誇』の話をしてくれて、入れてください!とお願いして参加させてもらいました。」

 ◎誇の活動紹介はこちら

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―誇の活動はどうでしたか?

誇は、公益性が高くて、一緒に活動するメンバーと話し合いながら進めていく仕事。自分の映像の仕事は一人で好きにやっている仕事。この2つのバランスがすごくよかったですね。メンバーそれぞれの地元へのかかわり方も、すごく勉強になりました。

「高校、大学と、香川県内の仁尾町以外の地域に行った時に、出身地は仁尾だと伝えると、『仁尾ってどこ?』とすごくバカにされた経験がありました。
でも、今、たくさんの人が来てくれる父母ヶ浜もあり、面白いプロジェクトもたくさん立ち上がって元気な仲間がたくさんいます。これまでだったら会うこともできなかったような方も、仁尾に来てくれるようになったんですよね。
そういう中で、誇の活動を通じて、自分たちの町を楽しくしたいって言う想いが一緒のメンバーと出会えたことは、地域でやっていこうという気持ちの部分では大きいですね!」


―そして2018年に、合同会社FIZMを設立。
 こうして、最初に伺った映像の仕事につながってくるわけですね。

 では、これから、三豊という地域の中で、どんな風に続けていきたいですか?

映像の仕事で言うと、一番最初に受けた衝撃的な感動、あの感動を作りだすこと。
そして、大学時代の部活のチーム作りと同じで、今ある会社内のチームビルディングをしっかりやっていきたいですね。
そのためには、映像を依頼いただく方たちと、プロジェクトを立ち上げた段階から打ち合わせに入らせてもらったりして、想いをできるだけ汲み取って、メンバーの一人になったつもりで動画制作チームとして撮影させてもらえるような仕事を作っていきたいですね。」

 ◎プロジェクトにしっかり関わって制作した「三豊鶴」の動画

「地元に戻ってきた仕事を始めてみて、地域のためにという言葉について考えることもありました。
でも、最近は楽しく暮らしていくために『何ができるか?』という目線で周りを見るようになりましたね仕事も、遊びも、子育ても、この町でしたいと、自分が選んでいるように、この仁尾でやっていけるという未来を描いて実践していきたいですね。」

「さらに、地元の仲間たちと一緒に、新しい三豊らしい商品を作るプロジェクトも動き始めているので、それも年内にはお伝えできたらと思っています!」


―「のめりこめるもの」に出会うことも、たくさんの出会いの中の一つであり、そして、それが発展していくかどうかも、たくさんの選択肢や人との出会いなんだなと、お話を伺って感じました。『運がいいんですよ!』と話されていましたが、その運の良さは、ご両親の愛情や、周りの方のご縁をつなげていけたから、今、地域で必要とされる働き方ができているのかなと思いました。

紆余曲折ありながらも、『好きを仕事に!』されていた藤岡優さんでした。
話の尽きなかったインタビュー、ありがとうございました♪


合同会社 FIZM

個人のブログ「マメを育てる」はこちら
Youtubeチャンネルはこちら

*全画像提供:藤岡優さん

posted by ほんまモンリポーター at 08:11| 香川 ☁| Comment(0) | 番組紹介!! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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